フィッ子

ディナミによる日々の糞と屁の集積所

penifikko

メモ

叫ぶ詩人の会「道を越えて」を聴きながら1日の労を、疲れを癒しながら帰路を急いでいる

 

ディズニーに向けて思いを高めている

 

こないだの小林さんの展示を見て思ったことが少し整理されてきた。あの時、客で割と普通のおばはんみたいな人(トコさんの知り合いだと思う)が展示見ながら「あー、いいわー」とか言ってたんですけど、うまく言えないけどなんか違うだろコレってモヤモヤしてました

背徳感のある作品を作ってるのを親に見つかって、でも全く怒られず、なぜか褒められる、みたいな感覚に近く、気持ち悪いものがありました。たとえばあのくらいの年代のおばハンはあの作品群を前にして嘔吐するとかブチ切れるとか。そういう反応こそが望ましい。(小林さんの真意は聞いてないのでわかりませんがね)たとえば漫画のセリフを下劣に変えまくった作品は狭義の「大人」(それはおそらくまともな男女だろう)に理解されたら終わりだなと思った。理解されることで強度が薄れる。(わかったふりをされるのもいやだ。「何がいいのかわからない!耐えられない!オエー!(嘔吐)」とか言ってほしいし、そういう感想を目の当たりにしたほうが作者としてぞくぞくするのかもしれない。なんか最近イエスマンが多すぎる、褒めすぎる。ノーマンはそもそもあのような会場に足を踏み入れないだろうが。おれも褒めすぎるところはあるけど冷静になりたい。)ひねくれた小4男子が1人内緒でニヤニヤしながら読むような内容なのだから、。谷村新司のどエロい深夜ラジオを聴くみたいな背徳行為。だからあれを人前で読むことは公開オナニーそのものなんだよ。羞恥心が必要。(おれはあの漫画のやつは爆笑をこらえながら読んでたけど恥ずかしかった。そんなおれを小林さんはどう思いながら見てたのだろうか。)そんなこんなで間口の狭い作品をどうやってそのクオリティ保ちつつ広めていくかは難儀なことだと痛感しました。

 

展示は30日までやってるので

未見の方は行ったほうがいい。あなたがあの作品に対峙した時にどう反応するかは

踏み絵に近い

 

 

 

身銭切り切り人