近況
- 七夕前に1年続けた仕事を辞めた
上京区にあるとある事務の職員でした
相手にするのは1000人近い会員で
それを5人で相手していた
朝8時には出社し
昼休憩時も電話がかかって来る、頻繁に来る
来客の対応もあるのできっちり休憩もできない。
(※あとオレはなかったが夜中の4時に会員から
電話が携帯に掛ってくるとかもある)
ちょっとクレイジーだが
残業は一切なく、定時で上がれた。でも
あそびに行く気力はほとんどなかった
定時以降は完全にスイッチを切りたくなる仕事だ
残業がない分給料は安く一番偉い長ですら30万だった
会員さんにも「おたく言っちゃあなんですが
ブラックですよね」と言われていた
専門的な人たちにそのように
言われていたのでそうなのだろう。
- 働いてる人がみんな出来る人だった
仕事が出来ない人に対しては相当厳しく
オレはやっぱ出来が悪く、人格否定しつづけられて
精神が参ってしまった。おつぼねのおばはんが
仕事出来るんだけど変わり者で、おれは精神すりへった
6日の金曜に
おれの不注意で起きたミスに関して罰として更に仕事がふやされ
延々と罵倒され続けた末におれはなんだか視界がぐらついて
ひとり過呼吸になり、更に両腕が震えて
動かせなくなって、深呼吸してもおさまらずで、その状況で
周りは見て見ぬふりで
あーもう静かに、逃げようと決心した・・
やりがいはそこそこ感じてたけど
会員とのやり取りはむちゃくちゃめんどくさかったが
職場のひどい人間関係のほうが重要だった
正直、きつかった
人数少ない職場で合わないときつい。
その数日前にも仕事での叱責が続き
おれは涙をこぼしていた
でもその時点ではまだ限界は感じてなく
乗り越えれる感覚はあったはずだった
- 金曜帰宅して
車の中で長に電話した。「そうか。気持ちは固いのか」といわれて
はい、と答え、月曜休んで考えろと言われた
精神科にでも行ってADHDの検査でもしてもらおうと思った
- 月曜朝
向こうから電話かかってきて「どうや」といわれ
「変わりませんと」伝えた
「ああそうか、手続きがあるからまた連絡する」
といわれ
た。
8時半に駅前の精神科に行こうと家を出るも
月曜は夜しかやってないことが判明し
職場の近くまでついつい足が向いてしまった
定期券の払い戻しのことを考えた
職場の数メートル手前で引き返した
イオンのフードコートで夕方までダラダラして
警備員に「食事以外の利用はおことわりです」と
注意されたので帰った
帰りに自転車乗ってると仕事の書類のことで先輩から電話かかってきた
が無視してでなかった。緊張していた。
家に着いてからかけなおしたら
保険証と鍵と退職届を
早急に返却してくれといわれた
精神科に行くのはやめにした
国民健康保険払う気が無いからだ
次の仕事が見つかるまでの間、入るつもりはない
年金はたしか猶予期間があったはずだ
退職届を出さないといけない。
今からグーグルで調べてみます
地震
朝、地下鉄に揺られながら昨日のことを日記に書いて投稿して、
改札を出たところでイヤホンからサイレンが流れて
しかも聞いたことのないサイレンでした
スマホを見ると大きな揺れがどうのこうので
まあいつものやつかと思って歩いてたら
足元が少しふわふわした気がした
その後も町は至って普通で何も問題はなかった
職場についてパソコンの電源つけてようやく
本当にでかい地震だったんだと理解した
それから帰宅するまでずっと気が気でなかった
JR動いてなくて市バスで帰ったが
道が混んでて非常に疲れた
家に帰ると
いろいろ割れたりしていた
部屋のものはいろいろ落ちてて
気も落ちた
昨日のあれは何だったんだろうか、あの桃源郷のような数時間の
つけが回ってきたのか…それにしてもひどい話だ
音羽の滝
音羽の滝でやってる荒木さんの展示で
エッグ小松君がライブやるとのことで
見てきた…四時前に家を出た。
北からの風がきつかった
二体がご自由にお持ちくださいだった。
状態良かったが
デカかったので諦めた。
三条のドマ裏にある寺の池のカモを見てきた
が、仔鴨が居なくなってて親ガモだけが
毛づくろいしている。(調べたら子ガモだけが川に向かったそうだ。)
そして着いた
ここは昔ゆいまーるのイベントで吉田を目撃しようと
見に行った場所だ
又サニーの哲夫さんに会えたのもここだ
写真と、録音物の展示のようでした
大きな拡声器スピーカーから、女の
喘ぎ声が流れていた
客は10人以上いる。
森林の匂い、空気感。すごくいい。
荒木さんに聞くと土木事務所に許可を得てやってるらしい。さすがだ。
告知ほとんど見てないが
こんな力入れてやってるとは…
いい展示だった
小松ライブ始まると30人くらいに増えてて
大阪から来てる人も多数で、流れてる
音はアブストラクトだけどみんなこれ求めて
このダムの上まで来てるのかと思うと
震えてきた。
小野さん(一家で来ていた)の子供が音に興奮して(音に体が反応していたのだろう)楽しそうに野を駆けずり回っていて
ワットカベヤが子供と追いかけっこしていて
流れてるのは愛燦燦やB'zをタイムストレッチした
ドローンで
この上ない多幸感、あの世でみんな集合してる感じだった
暑くもなく寒くもなく…異様なこのシチュエーションで
「タイコクラブ越えたな」とワット君の口から漏れた言葉は冗談ではない気がした
多分もう二度と行われることはないと思う。
はかなくて美しい日曜日の午後でした
昨日のフォーラム京都で
「ワットカベヤがブログをかけと言ってたので書きます』
昨日の彼の訴えは切実だった
京都からどんどん人(知り合い)が離れてい
って寂しいというものだった。
(ちなみに彼は愛知の人だ)
(左京区はいいところだそうだ)
彼のバンドメンバーは皆京都を離れ、
敬愛する先輩も京都を離れ、
残るのは彼だけだと言っていた。
仕事の話や
ネガティブな話がずっと続いたけど
根底には「信念貫いて売れてやる!」という
思いがあったように見えた
(いや、よくわからない、とにかく疲れていた)
ワイワイ楽しくやりたい思いと
SNSで楽しそうにアピってんじゃねえ
という中指を勃起させた
矛盾した想いが交錯していた
そういうひねくれたところがホッとする
(そういうめんどくさい人が少ない世の中だから)
楽しく自由にやっていきたい。
京都は青春のひとときを通過する
街でいい
歳をとってくるとつらいことしかない
みんな自分の思い描いたように売れて
行くのを願う
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不感症なりに何か感動する方法(テレビ映画音楽スポーツ本雑誌)を自分なりに見つけ、その細かいチューニングと精神の性感帯を見つけるだけの作業に時間を費やすだけの人生